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※以下動画から抜粋です。
野球や柔道に長く親しんでいたことから、将来はスポーツ取材ができる仕事ができたらと考えており、大学で東奥日報社の求人を見つけたことがきっかけでした。
海外取材は初めてでした。
今回のオリンピックには青森県勢6人が4競技に出場しました。
1年以上前から予選から取材するので、選手たちの家族の一員になったような気持ちで応援していました。
今回は近代五種競技で青森市出身の佐藤大宗選手が日本人で初めて表彰台銀メダルを獲得しました。
その場面は自分も記者席からも立ち上がって、自分も声を上げていて銀メダルを取った瞬間は涙が出てしまって、本当に記者冥利に尽きる瞬間だったなと振り返っています。
高校3年生の時にセンター試験では、最初は国公立大学を希望していたところ、なかなか点数が伸びませんでした。
それで父から「こういう大学もある」ということで、青森中央学院大学のパンフレットを見せてもらったところ、公務員対策に力を入れていましたし、留学生がたくさんいて国際的な広がりを見せつつあったので、「ここは楽しく自分のやりたいことも探せそうだな」ということでめざしました。
最初は第1希望校ではないので、ちょっと落ち込む部分もあったんですけども入ってみたらそれが吹き飛びました。
最初の落ち込みもありつついろいろな人と出会って、友達と出会って楽しく4年間過ごしたおかげで今があると思っているので、落ち込むことなく全力で頑張ってほしいと、当時の自分に伝えたいです。
若者の可能性は無限に広がっていて、自分の取り組み次第で視野を広げることができます。
「大学生の間にしかできないこと」があるので、何事にも積極的に全力で取り組んでほしいと思っています。